また、これら2つの現場は、奇しくも、環状八号線沿いから少し入った場所に位置する閑静な住宅地という点も見逃せない。
しかも夜中に友人とチャリで行くという暴挙であったので余計にその感な半端なく、見入っていたら事件現場に併設されたポリボックスからお巡りさんが出てきて「何をしているんだ?!」と怒鳴られた。
雨樋の掃除は結構、大変だったのではないかと思いますね。
そして、生理用品で止血をした痕跡も残っていたようです。
1 塾の看板かな、現在は判読不可 2)3)事件直後の写真には無いので、事件後に誰かが設置して、今も手入れを続けているんでしょうね。
さらに二階の子供部屋で、礼君がベッドの上で首を絞められて死んでいた。
途中、を楽しむ若者たちを横目に、 親子連れの姿が見受けられる公園に踏み込んだ。
(警視庁による正式名称は『上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件』) 正直に書くと、僕はこの事件についてあまり知らなかった。
当時の新聞記事では次のような残虐な手口が報じられた。
まず、話題になっていた、宮澤さん宅の屋根の「雪止め」の件ですね。
建物を維持・保存する為であろう養生シートに覆われている、二棟の家屋。
宮澤さんは一階の階段の下で首や腕など数カ所を刺され、うつぶせで倒れていた。
2000年大晦日、変わり果てた姿で発見された宮澤みきおさん一家(遺族提供) 東京都世田谷区上祖師谷で会社員、宮澤みきおさん(当時44)、妻の泰子さん(同41)、長女にいなちゃん(同8)、礼君(同6)が変わり果てた姿で2000年大晦日に発見されてから18年になる。
生徒は「事件を知らなかった。
だが、この日は寒空の中、殺人事件の被害者遺族の会「宙の会」のメンバーらと約1時間、ビラ配りで歩き回り、「犯人は自首してほしい」と気丈に訴えた。
祖師谷公園に差し掛かり、丁字路を曲がる。
隣家の屋根を見ると、雪止めはありませんでした。
もし、2階風呂窓に格子を設置していたら、この事件は防げたかもしれません。
一体、今はどうなっているんだろう。
被害者家族の胃の内容物や食事とは異なっていたようです。
臀部と下半身に傷があることからも説明つきます。
最後に洗面所の分電盤を下ろします。
また、犯人とDNA型が一致している 毛髪も発見されています。
私としては、建物を保全してくださいと警察に頼まれていたつもりなのに、急に突き放されたような気持ちになりました」 宮沢泰子さんの姉・入江杏さんは、12月14日、自身が主催する追悼の集い『ミシュカの森』の終了後にそう語った。